去る2017年7月、先代師範である佐野寿龍氏が逝去なされました。その後、門下指導員であった岡田健一が、琉球古武術保存振興会宗家
井上貴勝先生の許可の元、支部長及び理事職を引き継ぎ、旧道場の閉館(2018年5月)に伴い稽古場所を移して、武器術・徒手術共に川口支部としての活動を行っております。
※現在の主活動は小平市学園西町自宅練習場での個人稽古及びオンライン稽古になります。
尚、当HP内にて説明している空手とは、井上貴勝先生が運営され保存振興に努められております「唯心会」の空手術と体術の事になります。先代に於かれても武器術・空手術共に井上貴勝先生に師事され、当HPでは便宜上「古伝空手」と呼称します。当館は唯心会空手道の川口支部でもあります。
琉球古武術・古伝空手とは、その武術的思想を同くし、常に一体両面・密接不可分の関係で稽古する事を定法とする、琉球古伝の武術です。その特長は汲めども尽きぬ術理の宝庫にして、かつ実戦的攻防技法の備忘録(覚え帳)としての意味合いを持つ「型」にあります。「型」は、その秘匿するところの術理を外部から容易に窺い知ることが出来ない形で構成されていることに特質があります。
そのゆえに琉球古武術・古伝空手の稽古においては、先ず第一にそれぞれの個々の「型」に秘められている抽象的な術理を本質的かつ正確に理解し、それを具体的な組手の形に解きほぐして稽古すること。次ぎにその稽古においては、その術理の具体的用法をイメージしつつその抽象性の秘匿する意味合いを再確認して所作するというプロセスとなります。このプロセスは循環往復して尽きることがなく、しかも一循環ごとの内容は、いずれも前の段階よりも一段と高いレベルに進むということになります。
古伝空手、琉球古武術のそれぞれの上達構造は、まさにこの循環往復するプロセスの中にあり、もとよりこのプロセスは、琉球古武術・古伝空手相互の関係においても、一体両面・密接不可分の関係で成り立つものであります。
言い換えれば、琉球古武術・古伝空手においては、それぞれの各々の「型」の稽古は即、組手の稽古であり、組手の稽古は即、「型」の稽古であり、なおかつ古伝空手の稽古それ自体は即、琉球古武術の稽古となり、琉球古武術の稽古それ自体は即、古伝空手の稽古となるという、まさに全体で一つの循環往復して尽きることの無い上達構造を有するものであります。
琉球古武術・古伝空手は、本来の武術的精神・術理・技法がそのまま伝承されているものであり、そのゆえに、まさに空手の源流たるの名に恥じない優れものです。その意味においても、今日のいわゆるスポーツ空手・競技空手とは似て非なるものと言わざるを得ません。
一般的にスポーツは、見世物(ショー)・ゲーム・娯楽の範疇に属するものでありますが、琉球古武術・古伝空手は『弱者が強者に勝つ』ための理論的体系たる兵法・武術の修行を目的としたものであります。ことの性質上、おのずから、いわゆるスポーツ空手のような競技は行う可くもないし、また行いません。
琉球古武術・古伝空手で曰う試合は、あくまでも生きるか死ぬか、命を賭けての真剣勝負を想定しているものであり、そのために武器術を含めた古伝の言わば「人殺しの技術」を学ぶわけであります。
もとより、今日の民主主義的文明社会においては、そのような技術を実際に使うということは通常、有り得ませんが、重要なことは、そのような生きるか死ぬかの技術を精緻かつ真剣に学ぶ過程において、生きるための最重要な課題たる死生観・人生観を確立し、真に自己の拠り所となる柔軟な思考と堅忍不抜の心身を練磨することにあります。
稽古の目的は、(スポーツ的な意味での強い弱いを競い合うものではなく)あくまでも兵法・武術たるの真理をいかに学ぶか、その真理を実人生でいかに活用するかがテーマであり、そのためにも人間の脳が陥り易い思い込みと頑固さを捨てて術理優先の正しい稽古をする必要があります。それが上達への捷径(近道)となります。
極めて合理的かつ実戦的な方法を以てする琉球古武術・古伝空手は、老若男女を問わず誰でもが稽古でき、かつ人生に必須の兵法的思想を学びつつ護身・修身・体育の法として日々修行に勤(いそ)しむことのできるものであります。